呪術廻戦で吉野順平のストーリーが好きなのです。
しかし、読んでいて「よう分からん」ってなった箇所が多々ありましたので自分なりに考察していきます。
※この考察は、投げっぱなしな個人の感想文です。
※呪術廻戦単行本3巻〜4巻・アニメ該当部分のネタバレを含みますのでご注意ください。
順平の「母さんも僕も人の心に呪われたって言うのか」という台詞の意味
順平が母親の遺体を発見し、真人にそそのかされて、学校のいじめっ子が犯人だと思い込み復讐しに学校へ行き、虎杖に止められたシーンです。
「人に心なんてない」
引用:漫画「呪術廻戦 4巻 第26話より」
「ないんだよ!!そうでなきゃ…そうでなきゃ!!」
「母さんも僕も人の心に呪われたって言うのか」
初見で読んで、最初からこの台詞の意味がすんなり理解できた人は少ないんじゃないかなと思います。この台詞は、婉曲的で言いたいことが少々分かりにくいですね。
この言葉の意味を理解するのに、この文章の意味と順平がこの言葉を発するまでの過程を考えていきたいと思います。
順平は「人の心に呪われた」というのを認めたくない
「母さんも僕も人の心に呪われたっていうのか。」という文章のみを、文法的に見てみると、反語の言い回しを使っていて前述の文章の意味を否定します。
「母さんも僕も人の心に呪われたっていうのか。」
→→「母さんも僕も人の心に呪われたはずがない」というのが順平の主張
順平の言葉は「人に心はない」というのを執拗に言ったり、「(人に心は)ないんだよ!!そうでなきゃ…そうでなきゃ!!」という台詞から、彼からは「人の心に呪われた」というのをどうしても、認めたくないという心情が受け取れます。
なぜ「人の心に呪われた」と認めたくないのか
順平がなぜ「人の心に呪われた」と思いたくないか考えてみます。
じゃあそもそも、「人の心に呪われる」って状態ってどういう状態なんかという話ですけど、
呪術廻戦では呪いの定義を「人の負エネルギーが向けられ漏出するモノ」としています。この場合純平が他者から受ける「呪い」は、怒り侮蔑恨み憎しみなどの悪意を含んだ負の感情のことだと思います。
人からの悪意=「呪い」を一身に受けた順平は、単純に苦しかったんだと思います。
順平は、虎杖との会話でしきりに「心はない」と主張しています。
この考え方は、順平の真人から聞いた「人間には魂はあるけど心はない、感情は魂の代謝で意味などない」という話の受け売りです。
相手からの負の感情も、憎しみでいっぱいになる自分の感情も、「心」ではなく魂の代謝と言われれば、善悪の判断も含めて無意味になり、それは彼の救いになったのかもしれません。
彼は「人に心なんてない」という言葉を、順平の復讐を肯定する言い訳に何度も繰り返し言い聞かせるように唱えています。
復讐を肯定する言い訳
順平は自分に危害を加えた相手に憎悪と復讐したい気持ちを抱いています。
彼は、3巻第19話の冒頭で
「嫌いな人間が死ぬボタンは押せないけど、僕ことを嫌いな人間が死ぬボタンは迷わず押す」
引用:漫画「呪術廻戦」 3巻第19話より
と言っています。
自分が嫌いってだけで殺すことはできないけど、自分に明確な悪意を持って接する人間は死んでほしいと思っていると私は解釈しました。
真人が映画館で順平をいじめていた同級生を無為転変で殺したときも、真人を追いかけていって「僕にもできますか」と聞いています。順平が人を殺す理由は、明らかに復讐のためでしょう。
でもその感情にストッパーをかけていたのが、実行能力が無かったり、人間社会のルール(法)だったり、倫理感だったり、母親を思う感情だったりしたと思います。
順平は、人間のいきつく美徳は「無関心」だとしながら、心の中では復讐の念を消しきれないません。
そんな順平が、真人と出会うことで復讐の実行能力(術式)を与えられ、人の命の価値に対する倫理観を無くす考えを知ります。残る最後の砦だった母親も真人の企みで呪いに殺されてしまいます。順平の復讐を止めるものは無くなってしまったわけです。
「順平は人に心があると思う?」
引用:漫画「呪術廻戦」 3巻第19話
「命に価値や重さなんてないんだよ」
真人の話は、人の命に価値や意味なんてない→だから何をしても自由、憎いなら殺しても問題ない。という理屈です。純平はこの考えをもとに復讐を行動に移しています。
実際に心の底からそう思っているというより、そう思わないと自己を保っていられない。自身(の心)や母を殺した人間に対しての復讐の肯定するヤケクソみたいな言い訳だと思います。
虎杖も「誰に言い訳してんだよ」って言っています。虎杖は、ごちゃごちゃ理屈っぽいこと並べて人を殺そうとする順平に対して「正当化して言い訳してんじゃねえ」って言いたいわけです。(虎杖もこのときは順平の事情を知りませんからね。)
「もう何が正しくて 何が間違っているのかも…」
引用:漫画「呪術廻戦」4巻 第26話より
順平のこの言葉からも、本当は復讐で人を殺すことが正しいなんて思っていなしし、順平が母親を失って心神喪失な感情なのも分かりますよね。
まとめ:順平の思考の過程
順平の思考のプロセス
同級生に屈辱的ないじめを受ける
↓
同級生に復讐の念を抱く
↓
真人と出会う
・「人に心はない」=人の命は魂と肉体の存在、無意味で価値などないと知る。
・術式を与えられる。(=復讐の肯定)
↓
虎杖と出会う
・人を殺すことについて虎杖の考えを知る。
虎杖:「俺は殺したくないかな、大切な人の命の価値が分からなくなりそうで」
・大切な人がいる=母=命=その価値が無意味だとは思えない
順平:「僕が人を殺すことで、あの(母親)魂が穢れるならば…」→母親を思うと復讐はできない
↓
母親を殺される…ストッパーが外れる
↓
復讐を実行
・復讐を実行する言い訳:「人は無意味な存在で無価値、心なんてないから殺しても問題ない」
↓
虎杖に止められる:「人の心がまやかしなんて、あの人の前で言えんのかよ」
↓
順平:「母さんも僕も人の心に呪われたっていうのか。」
・人に心があると認めれば、母も自分も「人の心」に呪い殺されたことになる。それってあんまりにもヒドイから、認めたくない心情
だから「人に心がある」なんて認めたくないし、復讐も肯定される。
順平のこの言葉までに至る過程を考えると、こんな感じかなと思います。
順平が身に受けた人からの悪意(呪い)は、あまりにも理不尽すぎて、思考と感情がぐちゃぐちゃになった末にでた言葉ですよね。
人に心があるならば、その行為やそれを行った人間に対しても少なからず意味のある行為・命に価値があるのか?とも考えられます。順平の心を殺し、母の命を奪ったのは何か意味がある行為だったのか?という考えると苦しいです。
順平は理屈っぽいとこはありますが、好きな映画を語っているところとか、母親を大事にしているところとか、本当に優しい少年だったはずなので復讐を肯定する何かが欲しかったワケです。真人の考えを完全に受け入れるているというより、こうする他しかなかったと言い聞かせている部分もあるかなと思います。
個人的な感想
吉野順平というキャラクターは最初から結末が決まっていたキャラクターだと作者芥見先生の扉絵横のコメントされています。愚かしい面によってしまったとあり、確かになぁと思いました。結論として、彼は救いようがなくとても可哀想な子でした。屈辱的ないじめを受けて、真人に利用されて、母親殺されて、自身も死亡してしまうという…。とても悲しい運命です。
復讐の念が彼の人生を狂わせたかもしれません。順平は高校生だし、理知的なふるまいをしていましたが、思考も行動もまだまだ未熟だし、学校という環境も狭い世界しか知らない子どもだったがゆえに復讐の念が強くなったのでしょう。
順平の話は、フィクションの物語として、呪霊である真人が嚙んでいますが、真人の役割って「1.倫理観を取り除くこと」(人に心はない)と、「2.復讐の凶器を与えたこと」(術式)なんですよね。順平の復讐って現実世界でも起こりうる事件で、現実では真人の役割を自身の思考のみで犯行にうつす可能性があります。そう考えた時に、真人が本当に「人同士が憎しみ合って」生まれた「人間」の呪霊なんだなって改めて実感しました。
ということで以上、呪術廻戦の吉野順平の台詞について考察してきました。
私は個人的に順平の話が好きです。行動は愚かしいかもしれませんが、優しくて素直な面もあり、とても人間らしいキャラですよね。虎杖くんと仲良くなってお母さんと一緒にご飯食べるシーンとか大好きです。コミックスの挿絵とアニメのOPで呪術高専に入学した順平のifカットがあるのが切なくて良いよね。
それでは今回はこの辺で!
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