MENU

「何者かになりたい」病を持つ30代は、自分の今持っているカードを眺めてみたらどうかな。│熊代亨「何者かになりたい」書評

ゆきち

30代も近いのに自分が「何者かになりたい」という感覚を捨てきれないでいる。

「何者かになりたいけど自分には才能とか、人に誇れることなぞ何もない…!」という悩み、誰しもが考えると思うのですが、これ30代までこじらせている人いるんですかね?

私は一般的な会社員!毎日会社と自宅を往復する日々ですが、心身健康だし、わりと穏やかな毎日を送っています。が、しかし唐突に「自分は何者でもないのではないか…」と考えるフェーズが半年に1度くらいきます。

そんな時に超ど直球なタイトル「何者かになりたい」を読んだので紹介します。

読んでみて弱冠心が軽くなったので、「何者かになりたい」と少しでも考えてしまう人、「何物にもなれなかった」と無力感を感じてしまう人に是非読んでほしいなとおもいます。

目次

今回読んだ本:熊代亨著「何者かになりたい」

今回紹介する本は熊代亨さん著書「何者かになりたい」です。

「自分」に満足できないのは、なぜ?

〈承認欲求〉〈所属欲求〉〈SNS〉〈学校・会社〉〈恋愛・結婚〉〈地方・東京〉〈親子関係〉〈老い〉

アイデンティティに悩める私たちの人生、その傾向と対策。

「何者かになりたい」。

多くの人々がこの欲望を抱え、それになれたり、なれなかったりしている。

そして、モラトリアムの長期化に伴い、この問題は高齢化し、社会の様々な面に根を張るようになった。

私たちにつきまとう「何者問題」と、どうすればうまく付き合えるのか。

人と社会を見つめ続ける精神科医が読み解く。

(Amazon商品ページより引用)

「何者かになりたい」 本の内容 をかいつまんで説明

1.他人からの承認で何者かになれるか?

私たちは自分より成功している人を見ると、羨ましくなります。そして、そんな人を見ると「何者かになっている人」だと思います。

他人から見て何者かになっているというのは[肩書+人気+実績]で判断されます。

ただし、他人からの評価が必ずプラスに働く訳でなく、肩書や他人からの評価が逆にその人を苦しめることもあります。(例えば「医者なのに…」「イケメンなのに…」など過大評価される問題など)

だから他人からの評価や承認だけで「何者か」になろうとするのは難しい。

2.人とのつながりは「何者か」を考えなくていい時間をくれる 

人とのつながりは、自分が何者であるか意識できるものです。地元の友人たちとバーベキューをしているときは「自分が何者か」なんて考えないですよね。SNSでつながることも、そのコミュニティの一員であることがアイデンティティになります。

人とのつながりは「集まっている自分たち」を実感でき、SNSではいいねやシェアでいつでも共感できます。恋愛や結婚も誰かのたったひとりのパートナーになるという点では、大きなアイデンティティになります。

3.「何者かになりたい」=「自分のアイデンティティを獲得したい

「何者かになりたい」という気持ちは「自分のアイデンティティを獲得したい」ということとほぼ同義です。

アイデンティティとは、自分を形作る要素で、家族・所属している会社やコミュニティ・趣味や好きなたべものなど「自分はこういう人間である」とイメージできる構成要素です。

「何者かになりたい人」は以下のどちらかに分類されます。

・まだ手に入れてないアイデンティティ(肩書や功績)がほしい
・アイデンティティと言えるものが足りない

著者は、アイデンティティをやみくもに得ようとする以前に、まず手元にあるものを手放さないこと、今の自分でも手が届くものをアイデンティティとして獲得することをおすすめしています。

4.子どもか大人かによって何者か問題はちょっと違う

子どものときの環境がアイデンティティの形成に大きく関わっており、毒親・虐待・ネグレクトなどの下で育った子どもは親の顔色を見て育ち、生き残ることを第一に考えて育つため、思春期の自分の意志で自分構成要素を得ようとすることが困難になります。

受験戦争や、親からの期待を受けて育った子供も実際は本人よりも親の意志のもと行動しているためこういった場合も自分で得たアイデンティティと認識しづらい。

大人になると「何者かになりたい」という問題は、また別の問題に直面します。

・「何者かになれる最後のチャンス」
…まだ何者にもなれていないという未練で暴走したり、残り時間を意識してしまう

・「自分の構成要素が失われていく」
…趣味や好きなものは変っていく・大切な人との離別死別を経験する

・「父と母としての自分というアイデンティティが加わる」
…自分は子の親であるというアイデンティティの獲得をするが自分の夢を子供に仮託してしまう危険も

といった感じの問題になります。

感じたこと│30代の「何者かになりたい」との向き合い方

今持っているものを大事にする

「何者かになりたい!」って思うとき、大体だれかを羨んでいることが多いなと思います。

ただ、もう私も30代になるとうするところで、現実的に考えて難しいコトや本気でそうなりたい訳ではなくそれがただ単なる「ないものねだり」の羨望や嫉妬であると気づくこともあります。

例えば小学生の頃思い描いてた夢で「先生になりたい」と思ったことがありまして…同世代の教師をやっているひとをいいな~と思うことがあります。でも、今から大学通って、教職免許とって、採用試験受けて…と実際に行動する気にはならないんですよね。

仕事って自分が「何者か」というのを表すのに一番分かりやすく評価される部分だと思うからモヤモヤするんだと思います。

初対面の人に「何している人なの?」って聞かれたら大体職業を答えますよね。なんか自己実現できているようなカッコイイ職業をこたえたいっ!!というのが本音です。

ないものを得よう、得ようとしても欲に限りがないので、今ある手札をじっくり眺めてみたんですが、「ああ、私ってこういう人間だよね」っていう輪郭が浮き上がってくることがわかりました。

「福岡出身の猫好きのイラストを描くインターネット大好き会社員」ってだけでもなんだか私を表した肩書きが出来上がったなと思いました。全然立派じゃないしかっこよくないんですけどね。笑

・オタクとアイデンティティ

個人的にわかる!ってなったのが、著者の熊代さんのオタクとアイデンティティの話ですね。いや、本当に10代オタクとして過ごしてきた大人ならわかると思うんですが「昔見たいにアニメを追いかけたりできない」「新作ゲームが開封せずに積んである」なんて結構あると思うんですよね。

私は、10代のころみたいにアニメやゲームに熱意を向けられないことを寂しさや、嫌悪を感じたりするんですよね。10代のころ私のアイデンティティの半分以上を占めていた「オタク」というアイデンティティが大人になって喪失していたんだなと納得いきました。

趣味嗜好(アイデンティティ)は時間経過や環境によって変化していく

これは決して悲しいことでも、恥ずかしいことでもなくて自然だし時間を重ねて自分にとってアニメやゲームより大事なもの(家族や新しい人間関係・仕事)が増えたという喜ばしいことかもしれません。

大人になったオタクのみなさ~~ん!

安心してください。アニメやゲームが好きだったっていう事実はずっと変わらないからアイデンティティの一部として大事にしまっておきましょ。

あわせて読みたい
大人になってから以前のように夢中でゲームができなくなった。 「10代の頃みたいにゲームを夢中でできなくなった自分がなんだか寂しい。」という感情になるのが20代後半過ぎてから度々あるのですが、30を目前にして俄然強く感じるよ...

・30代「何者かになりたい」と焦る気持ちもわかる

人間何歳からでもなんにでもなれるとは言えますが、

実際年齢とこの「何者問題」って密接に関係していますよね。10代は「とにかく何者かになりたい」、20代は「何者かになろうとする最大のチャンスと現実が見え始める」、30代は「何者にもなれないんじゃないかと不安と最後のチャンス」っていう感じで確実に回りとの差とか理想と現実のギャップが年齢を重ねるごとに明確に分かるようになってきます。

私は今ある自分のアイデンティティカードでバトルしようと考えられるようになりましたが、これは私が物事に真剣に取り組んだ経験がないお気楽ものだからかもしれません。

もっとシリアスに自分のやりたいことを20代のうちに時間もお金も費やした人で何者問題に突き当たってしまっている人に「今ある自分のアイデンティティを大事にしな」なんて簡単には言えないものです。30代は全世代からしたら若いほうですしね。

でも自分が何者かにならなければ、何者にもなれてないと悩んで眠れなかったり、嫉妬して辛いならば一回は自分のいまもっているカードを見直すのもいいかなと思います。」

何者かになりたかった自分というのもアイデンティティの一部になっていくと考えられるような人生を送りたいですねぇ。

「自分は何者でもない」と思っている人にぜひ読んでほしい

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次